どうでも良いけど、どうでも良くない事(2019.4.21)
「あなたは神を信じますか~?」
数十年前に流行った言葉ですが、
街を歩いてると呼び止められて宗教の勧誘を受けたり(笑)
懐かしいですね~今でもあるんでしょうか?
ところで、あなたは神さまや霊の存在を信じますか?😆
「ぜったい居る!」「そんなの居るわけない!」
という議論は実は大昔から現在に至るまで
あまり大きな変化なく交わされてきました。
それこそ、かのお釈迦さまが修行僧から「死後の世界の存在」を問われたそうですが、
お釈迦さまは「戯論(けろん)」(仏教用語で無意味で無益な言論のこと)と判断し、
何も応えなかったそうです。(このような応対を「無記」といいます)
「回答が出ない疑問に応えるまでにあなたが寿命に到達してしまう」という理由だそうです。
※説明を続けると長くなるの詳しく知りたい方は「釈迦+毒の矢のたとえ」でググってください😜
少し分かりやすい例えで「神社仏閣」
大事なことの前や年末年始にお願いごとをしたり、
お盆やお彼岸に先祖を敬ったり、
存在はほぼ信じてなくてもお参りしたことは回数問わずあるかと思います。
なんだかんだ言ってもみんなが信じてるのでは?
とも思える光景(参拝者の行列など)も見たことありますよね。
要するに神さまや霊の存在を例えに出しましたが、
このような疑問や追及は人によって解釈が異なり、
且つ誰も真実の証拠を提示できないような事柄で
議論が一周まわっての繰り返しモードに突入しエンドレスに。。
ということでこれからも正解は出ないのです。
(両極端な人からは「正解はある!」と怒られそうですが笑)
そうそう、科学的に証明されないので「存在しない」が正解、
という人もいらっしゃいますし、
科学で証明されていないという事は「存在する」は間違いではない、
という考えもあります。
そもそも、科学というのは神さまの存在を証明したいが故に生まれた学問ですし、
音楽も美術もすべては神さまのために、がきっかけです。
という事は?
神さまの存在を証明したい、追及したい、という考えは
けして「どうでも良いこと」ではなくて「どうでも良くないこと」?
これじゃいつまで議論しても正解が出ないと思いません?
このような事柄を「戯論(けろん)」と言うのでしょうね
ここまで書いてブログの1投稿で説明するのは非常に困難なことに気付き、
且つ結論が何かをまとめることが出来ずに収拾付かない状態になったことを反省しつつ、
今後の投稿でも小出しにしてみようと思います🍀