「自分値」を下げなくていい考え方(2019.5.30)
前回投稿した「5月病」とも関係がありそうですが、
主に新たな環境(進学、就職、転職etc)に変わったひとたちにバッチリかもしれません。
約2ヶ月を経過し、環境の変化にも少し慣れた時期だと思いますが、
ボチボチ周囲の状況も見えてくる頃で、同時に不安を抱き始める時期でもあります。
自分の学力や仕事に関する不安だけでなく、
同級生・同僚や先生・上司などの周囲との人間関係も同様です。
「自分はA君より勉強が出来ないかも」
「B君は上司からの評価が高い気がする」
などの“誰かと比べる”結果が大きく関わっている事が多いはずです。
※比べないことのメリットは以前書いた記事にあります
ここで比べ続けたら本来の自分に適した立ち位置を見失い、
「こんな自分はダメかもしれない・・・」
のような“仮の結論”を出してしまう傾向にあります。
学校や会社など、複数の人が集まって何かをやる場所では、
たしかに、非常に優秀で何でもそつなくこなせる「出来る人」と、
何をやらせても失敗を繰り返す「出来ない人」が出てくることは往々にあります。
ただそれは「ある事」についての結果であり、「別の事」の結果は変わることがほとんどです。
・〇〇さんより国語は優秀だけど社会は劣る
・接客は苦手だけど電話対応は誰より褒められる
など、人によって得手・不得手もさまざまです。
※目立つことでの優劣で、より目立つことは確かにあります
しかし「出来る人」が必ずしも経営者として優秀とは言えず、
「出来ない人」がお客さまからの満足度がマイナスとは限りません。
人は皆ひとりひとりが違って多様ですし、
またそれが誰かと比べて優れているとか劣っているという区別はなく、
それもひとつの多様な生きもののありかただと言えます。
いかに優秀と言われる人を集めても、
その中でのいわゆる“優劣”は生じます。
ただそれは「ある事」というものさしで計った時の“優劣”を指し、
「別の事」でのそれはまた異なった結果になります。
そのことに気付けば、他の人と比べてみたり、
自分のチカラに限界を作るなどの“仮の結論”を感じ、
悩みの種を作ること自体が無くなっても良いはずですが、
現実的には「大きな事を考え過ぎる」「自分を愛そうとし過ぎる」
などの思考に進展してしまうことが多いのです。
昨今ではこのパターンが非常に多く見られます。
「成功者」と言われる人の家に訪問するととてもセレブな生活を送っていて、
年収が〇億円、などをテレビ番組や雑誌などで取り上げられることが大きな要因だと思います。
これは物質至上主義が多くみられる現代人がいちばん好み、
影響される情報なので、視聴率を上げられるとこぞって製作されているようです。
「こんな生活が幸せなんだ」「こういう人たちがすばらしい人間なんだ」
という事を固定観念的に価値観を推しつける?刷り込まれる?
そのようなドラマやバラエティなどは見ていて非常に残念に思います。
話しが長くなりましたが、
このように比べることが常識のように思われがちな世の中ですが、
何に関しても「人によって違うこと」「多様性を認めること」という考え方を一貫しておけば、
比べることなく、あえて自分のランクを下げることなく、
良い意味でのマイペース生活でとても楽に生きていけるはずです。
(人間のクセなので容易に変えることもできませんが、気づくことで次第に慣れてくるはずです)