恋愛には覚悟が必要?(2019.7.10)
お釈迦さまが遺した“ダンマパダ”という仏典に『愛しい者を作るな』みたいな言葉があります。
※ちなみに第16章です
恋愛が始まると相手のことが好きだという何とも言えないワクワク&ドキドキ、ホワホワ感?高揚感?みたいな、言うなればピンク色のオーラ全開でその感覚で満たされてしまい、焦点が相手の良い(と思う)ところも嫌(だと感じたはず)なところも「うんうん、良いの良いの!」なんてヘンなサングラスで視界に入らない状態になりがちです。
(「あばたもえくぼ」ということわざもあります)
さて、前段の「言葉」に戻りますが、お釈迦さまなるお方が何故そんなネガティヴなことを言う?なんて不思議に感じる人もいるかと思いますが、実はこの章の前後を読むと理解できます。※全文は書き出しません
『愛おしい者や愛おしくない(憎い)者たちと居ると必ず「苦しみ」が生じる。
どちらでもない者と居ると「苦しみ」は生じない。
愛しさからは「憂い」「恐れ」が生まれ、拘束感が生じるために「苦しむ」ことになる。
そのような対象と一緒に居ないほうが苦しまなくて済む』
みたいな意味らしいのです(誤訳があればすみません)。
裏を返せば、愛おしい人と居たいのであれば、
相手の好きなところと同時に嫌なところも受け入れる「覚悟」が必要だ、ってことです。
もし無ければ、「恋愛」ましてや「結婚」はしないほうが自分のため、って解釈になります。
これは私の感覚ですが、最初からカンペキな覚悟が無くても、お付き合いの途中段階でも少しずつ
「なるほど、この嫌な部分も受け入れる事が必要ってことか」
と気付いて覚悟に変えていければ良いのだと。
さて、このテーマでこれ以上掘り下げていくと私自身の首を絞めることになるのでやめておきますが、ひとつだけ言えるのは、、
「私の覚悟は架空のものだった」
という事です(笑)
また最後に、過去と未来の自分と、将来パートナーになってくれる人に(居たら)伝えておきたい