人間性の回復と無駄の必要性(2021.8.5)
われわれが暮らしている日常の生活環境ひとつとっても、現在では多くの便利なサービスやテクノロジーが存在する。
たかだか50年ちょいの人生においても、幼少期との差は歴然としている。
当時学校の図書館で見た本に書かれていたように、「あと数十年で車は空を飛んでる」みたいな事態にはなっていないものの、ダイヤル回して交換手のお姉さんと話すのに緊張した電話機も、今では普通にポケットやバッグの中にある世の中になった。
例えが古すぎて解らない方も多いかもしれませんが、携帯電話で買い物ができて家まで届けてくれる、深夜でもコンビニに行けば食料や日用品まで入手できる、このようにほんの数十年前には考えられなかったことが可能となり、便利な世の中になったことは間違いありません。
ただこれは、、言わずもがな人の考える力や想像力、引いては忍耐力をも弱体化させてるのでは?とも危惧してしまいます。
不便な時代は、いかに無駄をなくし便利な世の中にするか、を考え、工夫し、いろんな技術を生み出しながらさまざまな開発が進んで今があるのだが、、まさに矛盾かも。
更に現在では家の中でしゃべるだけで家電をONにしてくれるという。
はて?このままで良いのだろうか?
たしかにハイテク(表現は時代遅れかも?)に憧れてきた世代としては、幼少期に見た本に描かれてた未来予想が現実化してきた!と喜びたいのだけど、、
数十年後には人間の身体や思考も退化するかも?
それとも、この飛躍的な進化を強制的に止めてでも防げるのか?
経済的にも影響が大きいはずなので、今更止めることは不可能に近いと思われる。
今や便利な世の中に慣れきって自覚がないかも知れないが、
人間界で生きていくために必要な「人間性」までもが消滅してしまうのは避けたいところ、、と抗いたくなるのは私だけでしょうか。。