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気遣いが必要な時代なのに(2020.1.25)

昨年、お客さま先へ通いながらのお仕事を請けまして、数年ぶりに通勤時間帯の電車に乗る機会が3ヶ月ほどありました。

以前から気にはなっていたのですが、

「ちょっと迷惑かも?」と思う乗客の行為です。(もちろん痴漢などの論外な項目は除きますよ)

昨今、スマホの利用率も増えてマナーを問題視されたり、リュックを背負う人が増えたのもあるんでしょうね(手ぶらが苦手な私は未経験)

昨年のデータ(「駅と電車内の迷惑行為ランキング」)によると

1位:座席の座り方
2位:乗降時のマナー
3位:荷物の置き方・持ち方 (以下は↑のサイトをご参照ください)だそうです。

(注)他人のことは見えても、自分のことは理解できてない人も多いとは思いますが(笑)

 

さて、電車に限らずあらゆるシーンで目にする迷惑行為。

なぜそういう行為をしてしまうのでしょうか?

ある心理学の先生によると、

「気が利かない人が増えた」とのこと。

(行為が意識的なのか無意識なのかにもよると思います)

その「気を利かせる」回路というのは、時代背景による生活環境の変化や、多くは幼少期からの習慣や意識によるところが殆どだそうです。

(これは対象が“無意識”な迷惑行為に限ってだと思います)

 

他人が迷惑するだろうと察知できない=迷惑にならないようにすることが正しいと思う習慣が少ない

という意味ですが更に、

(1)気が利かない
(2)周辺環境情報が十分に把握できない
(3)周囲に働きかけて“迷惑にならないように気をつける技術”がない

の3つに分けられるそうです。

これ以外に、

・分かっているけど自分はそのままで良い
・逆に周囲が気をつければ良い
・迷惑がかかろうが知ったことではない

等の言語道断なタイプが存在するのも事実です。(“意識的版”迷惑行為がこれです)

 

この先生の指摘以外にもいろんな意見があるとは思いますが、意識的だろうが無意識であろうが共通していることは、

他人に対する愛情が欠落している=自分のことさえ良ければOK

という思考回路の人類が増えていることにあるかも知れません。

(昭和と令和の比率データが存在するわけではありませんのであくまで個人的意見です)

利便性効率が流行のように重視される時代おいて、能動的な愛情が欠落し、受動的な愛だけは存続しているのではないか?とも。

愛情のカタチが時代によって変わっているのは、思いやりが無くても生きていけるパンデミック状態なのかも知れません。